plum滞土録

毎日のこと

仕事を辞めました

前回の更新から3年半も経過していてびっくり。

 

その間、部署異動があったりなんやりしまして、最終的に、私、今、無職。

 

THE 無職。

 

しんどいこともあったけれど、新しい経験をたくさん積むことができて、充実した社会人ライフを過ごすことができました。

関わってくださった全ての皆さんに感謝です。

(若い頃、「なぜ一定の歳を重ねた人たちは皆いっせいに色んなことに感謝感謝言うんだろう、人生しんどすぎてスピリチュアルな方向にいっちゃうのかな」と思っていたのですが、気がつくと自分もご多分に漏れずそう言う人間になっていました。人生ままならないものだということを骨身に染みて理解すると、必然に色んなことに感謝したくなるものなのよ…)

 

無職になったし、引っ越しもするし、これからは社会と断絶状態で日々を過ごすことになるかもしれないと思い、なんとなく不安になって久しぶりにこのブログを開くことにしたのでした。

 

今時ブログなんて見たら書いている人いるだろうか…?

まあいいか。自分の自分に対する生存確認記録ということで。

鈍った文章力(元々ないけど)も鍛えていくぞー。

失われた胸を求めて

胸が、ないんですよ(いきなり)

 

 

子供を一人産んで授乳時期も終わった頃に、「あれ?」とは思っていたんです。

でもそこまで気にせずに過ごしていたところ、
二人目を産んでしばらく経った時に、ふとお風呂場で見た自分の姿に
「??????」となったんです。

 

だって、あるべきはずのところに胸がないんだもの。

 

しぼんた、とか、小さくなった、とかじゃなくて、

ないんです。

一切。

 

しかもお腹はでているので、なんというかもう
幼児体型そのもの。

 

子供産むとこんなになるもんですか?
うちの姉も二人産んでいますがサイズ全く変わらないと言っていましたけど。
ちょっと神様これ不公平すぎません?
これじゃあたしぱっと見完全にメンズですけど!

水着もトランクス1枚で十分みたいな感じですけど!!!!!

 

 

なんか、もうほんと、
残念、としか言いようがないですよ。。

 

胸よりお腹が出ている、みたいな状態なので、どんなに好きな服を着ても、
全く似合わないし、テンションも上がらない。


今まで大して気にしてなかったけど、胸って大切だったのね。
失われて気づく大切さよ。。。

 

しかもこの産後の加齢に伴う胸の減少って、デコルテ部分からごっそり肉がそぎ落ちる感じなので、
腕とかお尻とかはもう脂肪たっぷりたるんたるんのなのに、
胸だけあばらが見えているみたいな、もうそれはそれは悲惨な状態なわけですよ。。

 

そして、一度切れたクーパー腺は2度と元には戻らないという、この残酷な事実ね。。。

うぅぅ、、、(瀕死)

 

 

それでもすがる思いで、現在ナイトブラで育乳中です。

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もちろん着けているのはSSサイズですよ。なにせ見た目メンズですからね!!!(自棄)

 

 

育乳というか、失われたものはもう取り返せないので、
残された背中とお腹の肉たちを無理やり胸の方向に持ってきて、
それ着けている限りはかろうじて谷間ができて、それになぐさめられる、という感じです。

 

しかも今はダイエット中ということもあり、心持ち
ない胸がさらになくなって完全に抉られてきたような、、、(心肺停止一歩手前)

 

 

もうこの際胸は諦めて、ひたすら薄い身体を目指そうかなとも思いますが、
30半ばでそれだと、美スタイルというより、むしろおばあちゃん化しそうで恐い。。

 

若い頃は、こんなことで悩む日が来るなんて夢にも思っていませんでした。

 

悲しみ!!!!

 

ダイエット途中経過報告

筋トレと食生活の改善を図って早1カ月。
予想では今頃最低でも3kg減しているはずでしたが、
実情としては、1カ月で-1.4kg。

 

 

...なぜ?????

 


ついでに、二の腕痩せを期待して毎晩ダンベルを振り回していた結果、
上腕二頭筋がムキムキしてきて、腕が太くなってきました。

 


...なぜ??????????????????

 


なんだろう。
ひもじい思いをしながら頑張って水を飲んでやりすごしてきたこの日々の意味とは。

 

昔はちょっと食事量を減らせば簡単に痩せていたけれど、
これは加齢ということなんでしょうか。
溢れ出る悲しみを受け止めきれる器がないので、ただただ悲哀の海に身を沈めている今日です。

 

いやでも、太ったわけではないし(腕は太くなったけど)、
筋肉がついたおかげで疲れにくくなったことは実感しているので、
しばらくこのまま続けてみようかなとは思っています。

食べる量減らすのめっちゃひもじいけど。

 

とりあえず9月末までは続けてみて、それでまた判断しよう、うん。
頑張れあたし。負けるなあたし!!(精一杯の自己鼓舞)

 

泣きたい私は猫をかぶる

というアニメがNetflixでやっていて、息子が観たいというので流してみました。

 

息子が途中で飽きてしまって別のアニメに変えたし、私も夕飯の支度していたので、内容ほとんど分からないのですが、とりあえず、

 

好きな人の飼い猫になるとか最高じゃない?

 

いや、ほんと主題とか全然分からないので見当違いなこと言っているのだと思いますが。

好きな人の飼い猫になりたくない人とかいるであろうか、いやいるまい。

 

と、思った次第です。

 

以上!

(無意味すぎる投稿)

 

 

「好き」が言えない

「私はこれが好きです!」と胸を張って言えるものがないままに、
三十余年を過ごして参りました。(偶像崇拝的愛はここでは置いておく)

 

これが意外と自分の中でネックになっていて、
自分の代名詞ともなれるくらいの「好き」がないということは、
アイデンティティが未熟というか、人間として魅力がないことの証のような気がして、
なぜか劣等感を感じてしまったりします。

 

中学高校大学と、比較的長い間「合唱」をやってきたのですが、
「合唱」に全精力を注いでいる人たちに比べれば、ただお遊びみたいにやってきた自分は、それをとても「趣味」ということもできないなと思うし、
じゃあその他で長く付き合ってきたものがありますか?と聞かれてもこれと言って返答に困る次第。

 

キャラクターはこれが好きとか、この小説家の作品は全部読んでいるとか、
このドラマがお気に入りとか、そういうのはあっても、どれも詳しく知っているかと言われれば、全然そんなことはなく。
全て表面をなぞっている程度に過ぎないものを「好き!」というのも恥ずかしいような。

 

別に特段の「好き!」がなくたって全然かまわないはずなのに、
「好き」がないと自分を輪郭づけられないような気がしてしまうのは何故なんでしょうね。

 

でも主張するためにあえて「好き」を作るのも矛盾しているし。
いやでも、「好きだから詳しくなる」のではなく「詳しくなったから好き」みたいな矢印もあるかと思ったり。

 

結局、私が欲しているのは自己紹介したいがための「好き」なんだろうか、と思うとなんだか空しい。

 

とりあえずたわいもないものも含めて、「好き」未満の「好ましい」と思ったものを羅列してみたりして、
それでちょっと満足したりしているから、やっぱりそれも不思議な話だなぁと思ったりしています。

妄想を逞しくしてモチベーションをあげる話

偶像崇拝的に好きな人って最高だなと思います。
双方向のコミュニケーションが一切ない、一方的な好意はとても気楽で楽しい。
寝る前に、頭の中で勝手に登場人物の一人になってオリジナルストーリーを展開する時間の多幸感といったら!

 

こういう話をするとオタク気質みたいに言われかねないのですが、
誰しも一人くらいは偶像崇拝的好きな人はいるんじゃないかなぁと思っています。
というか、いた方が絶対楽しいですよ!

 

二次元も二次元でありえないシチュエーションを想像できて楽しいけれど、相手が実在人物となると、
「いつかすれ違う瞬間が現れるかもしれない!!その可能性はゼロではない!!!!」
という興奮(?)があるので、よりテンションが上がりますよね。

 

一番の理想は同じビルの違う会社とかで働いていて、でも絶対に関わり合いにならない相手。
私的には偶像崇拝的愛情を厳守したいので、挨拶も絶対にしないような関係性が理想です。

「今日はすれ違ってしまうかもしれない!!!」というリアルさが、
自分のテンションをめちゃくちゃ上げるので、その瞬間の為に全力で自分磨きを頑張れそうな気がします。

 

私はあいにく今のところそのくらいリアリティのある相手はいないので、
ダイエットのモチベーション維持の為、この際無理やり作ってしまおうかなと思っています。
津村記久子さんの著書「カソウスキの行方」的な感じで。

 

今のところその候補が3人いるので(3人もいるんかい)、
あとは己の妄想力を如何に増幅させるが問題です。
こうなったら、勝手に相手の偽プロフィールまで作成しちゃおうかな。
(勝手にターゲットにされた人にとっては相当迷惑な話)

 

自分の認識できる範囲でしか世界を捉えられないのであれば、
つまり自分の認識が世界の全てということだから、
己の認識のなせる技を駆使しして人生を謳歌したいと思う次第です。

ペラペラがいい

ある芸人さんが相方に向かって

「お前は大学を卒業しているけれど、学んだことと関係ないお笑いの仕事に就いて、結局今は大学出てない俺と同じ給料を貰ってるんだから、学費の無駄だったな」

みたいなことを言っていて、それはもちろんネタとしての発言なんだろうけど、すごくびっくりしてしまった。
 

「学んだことを活かす」とか「人脈を築く」とか、そういうことに未だに嫌悪感を感じている自分にびっくりしたのかもしれない。

 

人生を階段のようには感じられなくて、ただ広い平面をずっとうろちょろうろちょろしているイメージ。

でもそれは全く悪い感じじゃなくて、うろちょろする中でふいに過去に通った道の上に立って、あの頃見ていた景色に瞬間的に出会える可能性を秘めた感じ。

 

過去を下に見てひたすら上を目指す、みたいなのは疲れるし、なんだか悲しい。

成長なんてしてないし、ただ通り過ぎていく日々を堪能しているだけ、というのが好きで、自分はそれを虚しいと思わない性質なのだろうなと思う。

 

側から見たら、ぺらっぺらの人間に見えるんだろうけれど、今まで経験してきたこと全てを吸収してたら、もうその重さで動かなくない?

ぺらぺらの方が調子がいい。あくまで、自分は、という話だけれど。