あつまれどうぶつの森で、自分用のキャラクターも作ってみました!
超可愛い…。
右が息子のキャラクターです。これまた可愛い。
ハジに写ってるウリちゃんもめちゃくちゃ可愛い。
可愛さの巣窟、あつまれどうぶつの森。
来ている訪問着は息子が虫や魚を売り捌いて集めたお金(ベル)で買ってくれました。
あつまれどうぶつの森では、島に暮らす住民たちと交流が出来、たくさんお話すると仲良くなれて、プレゼントを渡したりもできるようになります。
プレゼントをあげるとお金をくれたりすることもあるので、息子は早く住民と仲良くなりたくて、連続して何回も何回も声をかけるんですよね。
癒し系ゲームなので何度話しかけられても住民は嫌な顔しないし、夜中に突然家に押しかけても笑顔で話してくれるわけなんですが、
私のやうな小心者は、
「こんなに話しかけられてバーバラは嫌な気持ちにならないかな…」
とか、
「夜中にお家に行ったらアイダホも迷惑に思うんじゃない?」
とか、
完全に無駄な気遣いをして、癒し系ゲームで気疲れするという…(阿保)
プレゼントも、あげれば何でも喜んでくれるのですが、雑草とか蛾とかあげてる息子を見ると、
「えっ!そんなのあげていいの???」
とか思ってしまい、
自分でやるときは、最低でも果物、みたいなポリシーでやっています。
…どれだけチキンハートなんだ私。、。
実際の人間関係でも、必要以上に「迷惑だと思われたらどうしよう」と思ってしまって、相手に対して何のアクションもできない、みたいなことが多々あって、後で後悔することもしょっちゅうあります。
私のコミュ力、限りなくゼロに近いブルー(ブルー関係ない)
自分の「良い」と相手の「良い」が違うのは当然だけど、何の接触もなければそれこそ人間関係が成り立たないわけだから、自分が良いと思ったことはとりあえずやってみて、ダメだったら仕方ないと思うしかない。何事もトライアンドエラーですよね。
そう、分かってはいるんです。分かってはいるんですが、「自分の言動が相手に不快感を与えてしまうのではないか」という恐怖心は、なかなか拭えないんですよね。。
この恐怖心も、結局は「自分が悪者になりたくない」「自分の評価を落としたくない」という自己保身から来ているんだろうなと思います。
己の意識の浅ましさよ。。。
好みや価値観が人それぞれである以上、どんなに自分が善意と誠意と好意を持って向き合ったとしても、一定の人から嫌われるし蔑まれる、というのはどの人にも当てはまるのだと思います。
結局、人に積極的に関わっていける人といけない人の違いは、「どんな振る舞いをしようと一定の人からは嫌がられる」ということを事実として割り切れるか否かなのかもしれません。
前にTwitterか何かで、
「コミュ力のある人間というのは、自分から話しかけた時に相手からつれない態度で接せられても無傷でいられる、という一部の感情を失った人間だけが獲得できる能力」
みたいなコメントを読んだことがあって、なるほどなぁと思ったのをよく覚えています。
最近就活をはじめとして、何でもかんでも「大切なのはコミュ力!」になっている今の風潮を私は好かないのですが、「些細なことで傷つかない」というのは人生を楽しく生きていく上で、どうしても必要な要素になってくるなぁとは思います。
ある程度歳を取れば自然とそうなってくる人が多いのだろうけれど。
傷つきにくくなるというのは大切。でも自分が傷ついていることに気づかない、というのも問題なので、その辺のバランスが難しいですね。
しなやかな筋肉を作り上げていくように、心もしなやかに鍛えていければいいなぁと思います。