plum滞土録

毎日のこと

「好き」が言えない

「私はこれが好きです!」と胸を張って言えるものがないままに、
三十余年を過ごして参りました。(偶像崇拝的愛はここでは置いておく)

 

これが意外と自分の中でネックになっていて、
自分の代名詞ともなれるくらいの「好き」がないということは、
アイデンティティが未熟というか、人間として魅力がないことの証のような気がして、
なぜか劣等感を感じてしまったりします。

 

中学高校大学と、比較的長い間「合唱」をやってきたのですが、
「合唱」に全精力を注いでいる人たちに比べれば、ただお遊びみたいにやってきた自分は、それをとても「趣味」ということもできないなと思うし、
じゃあその他で長く付き合ってきたものがありますか?と聞かれてもこれと言って返答に困る次第。

 

キャラクターはこれが好きとか、この小説家の作品は全部読んでいるとか、
このドラマがお気に入りとか、そういうのはあっても、どれも詳しく知っているかと言われれば、全然そんなことはなく。
全て表面をなぞっている程度に過ぎないものを「好き!」というのも恥ずかしいような。

 

別に特段の「好き!」がなくたって全然かまわないはずなのに、
「好き」がないと自分を輪郭づけられないような気がしてしまうのは何故なんでしょうね。

 

でも主張するためにあえて「好き」を作るのも矛盾しているし。
いやでも、「好きだから詳しくなる」のではなく「詳しくなったから好き」みたいな矢印もあるかと思ったり。

 

結局、私が欲しているのは自己紹介したいがための「好き」なんだろうか、と思うとなんだか空しい。

 

とりあえずたわいもないものも含めて、「好き」未満の「好ましい」と思ったものを羅列してみたりして、
それでちょっと満足したりしているから、やっぱりそれも不思議な話だなぁと思ったりしています。