plum滞土録

毎日のこと

エンタメ消費としての人間関係

数年前の自分の手帳をパラパラと見返していたら、

 

エンターテイナーとしての自分を意識する

 

と書いてありました。

 

なんじゃそりゃ。

 

この頃の私は、友達と会った時に楽しい話を提供できない、みたいなことに悩んでいて、人を楽しませることができないようじゃその内人が離れていって孤独になる!!と思っていたのでした。

 

それで、誰かと会う時は笑えるネタを最低3個は用意して臨もう、みたいな決め事を自分から課していました。

そうでもしないと大したことを何も話せない己のポンコツさよ。。。

 

まぁ今でも、人間関係において相手を楽しませたいと思うし、特に仕事関係においては積極的に楽しい話題を提供せねば、という義務感もあるので、「エンターテイナーの自分を意識する」というのも分かるのですが、でも最近は、プライベートにおいてそれは違うかなぁと。

 

「この人といても面白くないから、この人とはもう遊ばない」というのは、結局相手を自分のエンタメ消費のための存在としか捉えてないよなと思うのです。

 

私の場合、対家族だと、別に全然面白くなくても構わないし、思っていることを垂れ流してくれても黙ってても何でもいい。とにかく気を遣いたくないし遣われたくない。というのが本音なので、相手にエンタメ性を求めてないし、そんなの求められても困る。

 

そして最近はそれを、友達にもあてはめて考えています。

もちろん面白いこと言いたいなら言ってくれた方がいいのだけれど。無理しなくていい。自分も無理したくないし。

私はもう三十路を越えたし、何か笑えるネタがなければ関係が成り立たない、思春期のような友達関係みたいなものからは、もう卒業したいなと。

 

相手を笑わす、だけじゃなくて、会うたびに何か有益なことを相手に伝えたい、みたいなものも、何だかすごく疲れます。営業マンじゃあるまいし。いいよ、無益で。そのままでいてくれよ。そのままでいさせてくれよ。

 

でもそういうのは人間関係における「怠惰」になるんですかねぇ。

結局楽しませてなんぼ、みたい感じなのかしら。

楽しくないなら一緒にいる意味がないし時間の無駄、というのが主流なんだろうなぁとは思います。

 

でも相手の存在を近くに感じて、それをそのまま受け入れる、受け入れてくれる人がいる、という安心感は得られるし、もうこの年になるとそういう人間関係でいいんじゃない?っと思ってしまうのです。

テレビのバラエティ番組を見続けるのがしんどいくらいの歳を重ねてしまったのでね。

 

「世界街歩き」とか観ながら、お互い好きなお菓子食べあうみたいな関係が、一番心地いいなぉと思うのです。