plum滞土録

毎日のこと

安部公房「砂の女」

初めて読んだ安部公房作品が何故か「カンガルーノート」で、脛からかいわれ大根生えてきちゃうし賽の河原をストレッチャーで彷徨うし最期が悲惨だしで、「安部公房恐い!!!」というイメージがついてしまい、その後ほとんど安部公房に触れてきませんでした。「壁」を読んだくらい。

怖いもの見たさ?て「カンガルーノート」は何度も読み返しているのですが。

 

しかし、コロナ自粛のおかげなのか?、ついに読みましたよ!

二十数カ国語に翻訳され世界的に有名な「砂の女」を!!

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ほほう!こんな話でしたか!!(何だその感想)

 

毛嫌いせずにもっと早く読めば良かったという気持ちがありつつも、いや今読んだからこそ響いた、という部分も多かったです。

比喩が本当に巧みですよね。安部公房自信は純文学は一切読んだことがないと河合隼雄さんとの対談で言っていましたが、こういう文章表現力ってどこから生まれるんですかね。生まれもった感性もあるのかなぁ。羨ましい。。

 

以下、胸についた台詞を抜粋。

 

いざ仕事にかかってみると、なぜか思ったほどの抵抗は感じられないのだ。(中略)確かに労働には、行き先の当てなしにでも、なお逃げ去っていく時間を耐えさせる、人間のよりどころのようなものがあるようだ。

 

労働を越える道は、労働を通じて以外にはありません。労働自体に価値があるのではなく、労働によって、労働をのりこえる……その自己否定のエネルギーこそ、真の労働の価値なのです。」

 

「まぁいずれ、人生なんて、納得ずくだ行くものじゃないだろうが……(中略)このまま暮らしていって、それでどうなるんだと思うのが、一番たまらないんだな……どの生活だろうと、そんなとこと、分かりっこないに決まっているんだけどね……まぁ、すこしでも、気を紛らせてくれるものの多い方が、なんとなく、いいような気がしてしまうんだ……」

 

孤独とは、幻を求めて満たされない、渇きのことなのである。

 

忍耐そのものは、べつに敗北ではないのだ……むしろ、忍耐を敗北だと感じたときが、真の敗北の始まりなのだろう。