現代短歌を讃えたい
好きだった曲を好きなまま歳とっておんなじ歌詞になんどでも泣く /岡野大嗣『たやすみなさい』
…めっちゃ良くないですか?
邦題になるとき消えたTHEのような何かがぼくの日々に足りない/木下龍也『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』
‥素晴らしすぎると思いませんか?
靴紐をきつく結んだ 好きでいることを謝りたいひとがいる / 村上きわみ
…号泣しません?
私自身は俳句とか短歌とか川柳とかと全く縁のない人生を歩んできたのですが、最近Twitterなどで現代短歌とか色々知るようになって、その素晴らしさに溜息をつきまくる毎日です。
この気持ちはなんだろう、思春期に銀色夏生を読んだ時の気持ちに近い?(世代がバレる)
歳をとっても、思い切り感傷に浸りたいみたいな時はありますよね。
私は乳児を育てていた時代、なんだか急にそういう気持ちになり、幼子を抱き抱えたまま銀座松屋で開催されていたチビのミイ展に駆け込んだことがあります。
いちいち色んなことに感動するのも子供っぽいというか、そもそもそんな暇がない、みたいな意見もあるのかなと思うけれど、自分の感情のさざなみのやうな動きにじっと耳を澄ますみたいなことは、人生においてときにすごく大切なんじゃないかなぁと思ったりしています。
カフェオレの 砂糖がとけていくさまを じっと見つめて 息をしないで
調子に乗って作ってみましたが、友人に見せたら「なんか楽しそうな短歌だね」と言われ、「仕事がすごく辛かったときにその気持ちをうたった歌なんだ」と正直に言うことができませんでした。
表現者の道は遠い。